2を聞いてnを知る【参考書から得る教訓】
こんにちは。
お久しぶりです。笑
ライトな記事なら帰りの電車とか暇なときにかけるかなーと思って久々に更新してみました。
と思ったらしっかり書いちゃいました。
〇〇を聞いて〇〇を知る
タイトルにもありますが、
『2を聞いてnを知る』
これが今回のテーマです。
が、特に深い意味はありません。笑
なんかこの言葉カッコよくないですか?と思っただけです。
とにかく記事にしたくてタイトルだけ書いて下書きに放置してました。笑
元ネタは『一を聞いて十を知る』ということわざです。
一を聞いて十を知るとは、物事の一端を聞いただけで全体を理解するという意味で、非常に賢く理解力があることのたとえ。
(故事ことわざ辞典より)
対して、『2を聞いてnを知る』とは、元々は僕が使ってる経済数学の参考書の注釈に書いてあった言葉です。
ベクトルを考えるのに最初からnを大きくしてしまうとわかりにくいのでn=2から始めましょう、というのが本来の意味です。
nっていうのは、統計学で言うところの「標本の大きさ」にあたります。
※統計学用語はややこしいので大変ですが、「標本の大きさ」と「標本数」は違います。
一般化して言うなら、「何事も複雑なものはまず簡単にしてから考えましょう」となりますね。
造語ですけど『一を聞いてnを知る』ってのもあります。
ググるといろんな記事やら出てきます。
しかし、
『一を聞いて十を知る』でもなく、『一を聞いてnを知る』でもなく、
『2を聞いてnを知る』だからこそカッコいいのです。
(2が数字なのも個人的ポイント)
教訓「とりあえず2は聞こう」
では、そこから発想を飛躍させてみます。
『2を聞いてnを知る』から得られる教訓。
(たかだか参考書の注釈から教訓を得るのもアレですけど、お付き合いください。)
参考書的な説明をすると、n=1だとそもそもベクトルにならないので「2を聞いて」なんですが、それは置いておいて
ここでは「2を聞く」というのは、「一では足りない」ことだと考えます。
つまり、物事を知るためにはその一面だけを見てもわかりませんよ、ってことです。
なので「とりあえず2は聞こう」となるわけです。
「2」を「自分と相手」と読み替えてもいいです。
自分のことばかり知るのではなくて、相手のことも知りましょう。
逆もまた然り。
さすれば「n」は得られん。
「一」だけ聞いてはいけない訳
最近、社会問題についてよく考えます。
フェミニズム自体は素晴らしいものだと思いますが、しばしばフェミニストはやりすぎだと批判されます。
一番直近で言うと、NHKのインターネットサイト『ノーベル賞丸わかり授業2018』の受講者(ゲスト)として、VTuberのキズナアイが採用された話です。
この騒動を知ったのは、千田有紀さん (@chitaponta)が書いた記事『ノーベル賞のNHK解説に「キズナアイ」は適役なのか? ネットで炎上中【追記あり】』からです。↓↓↓
https://news.yahoo.co.jp/byline/sendayuki/20181003-00099158/
こちらの記事での千田先生の主張は、(ざっくり言うと)「女性として期待される性別役割が『聞き役』として固定されている」とのことでした。
はじめは僕も千田先生の意見に賛成で、キズナアイを使うにしても、もう少し工夫はできたのかなと思っていました。
しかし、朝日新聞記者の丹治吉順さん (@tanji_y)のツイートを見て少し意見が変わりました。
丹治さんは「昨年度の同企画では聞き役が鈴木福くんだった」と根拠を述べ、番組側のキズナアイ採用による性別役割固定への悪意を否定しました。
さらに彼は新聞記者という立場から、「インタビュアーが『聞き役』の立場に立つことはおかしくはない」と続け、千田先生らフェミニスト側の言い分をほぼ論破したように僕には思えました。
✳︎
ここで僕が言いたいのは、フェミは悪だとかキズナアイの何が悪いだとかそういうことではありません。
もちろん僕は千田先生の女性の地位向上に関するツイートなどをよく拝見しますし、わかりやすい口語文体で語る先生のことは好きです。
だからこそ、最初に千田先生のツイートだけを見て物事を判断していた僕は「一しか聞いていなかった」んです。
「キズナアイ関連の騒動」というnを知るためには、2を聞かなくてはならないのです。
一だけを聞いていたら、自分の信じる主張しか耳に入らなくなる。
そこで意固地になって、本来あるべき議論がなされない。
「好き」の押し付け合い、「嫌い」の過剰主張によって、真実はどんどん捻じ曲げられていく。
あらゆる複雑な問題を考えるとき、「2を聞いてnを知る」ことは基本であり、見失ってはいけないことだと身をもって痛感しました。
✳︎
今回は例としてキズナアイ関連の騒動を取り上げましたが、僕のブログだけを見て判断してしまうこともまた「一」しか見えていません。
2を聞いてから、それぞれが思うnにたどり着いてください。