部活動のあり方
今回は前回の記事の続きという形になるので、まだ読んでない人は先にそっち↓を読んでみてください!
テーマは「部活動のあり方」。
部活動は教育における重要な役割を担います。
運動による心身の健康はもちろん、普段の授業では味わえない仲間とのつながり、逆境に打ち勝つ精神的な強さ、自分自身をコントロールする能力、、、etc.
数えればキリがありません。
しかしながら、昔から部活動の中で重要視されてきたのは勝ち負けや規律であり、部活動そのものが「健康で文化的な生活を送るための一財産」であるという捉え方はあまりされてきませんでした。
今回は部活動が教育的にプラスであるために必要なことをまとめます。
「入らない」という選択肢
まず最初に、そもそも部活動に入る必要は必ずしもあるのか?
僕の通っていた公立中学では、全員が部活動に参加することが強制されていました。
やりたいスポーツがない人は卓球部などの室内スポーツに、スポーツ自体やりたくない人は理科部などに、人が集まっていた印象です。
結果を残そうと頑張っている他部活の人たちから見たら、(もちろん頑張っている人もいますが)両部員は大会やコンクール上位を本気で目指すようなメンタリティではいなかったし、指導者も揃っておらず、惰性で続けているだけのように見えました。
もちろんそれでも部活動の目的の一部は達成されるかもしれませんが、彼らが望まない部活動に入った場合の機会費用を考えると、部活動に入るのが最良かは疑問です。
部活動に入らず自分の好きなことに注力できれば、「好きこそ物の上手なれ」。彼らの得意な分野で一花咲かせられたかもしれません。
圧倒的な入りやすさ
では、部活動はやりたいけど楽しめればそれでいいな〜、という生徒はどうでしょう。
部活動に入るのは様々な理由があります。
そのスポーツが好きだから、日本一になりたい、友達が入るから、憧れの先輩がいるから、など強い決意からしょーもない理由まで。
競技スポーツやコンクールでの結果を求める生徒と、キツイのはちょっと…という生徒。
生徒の部活動の捉え方は様々です。
「楽しめればそれでいい生徒」にとって、部活動とは格好のコミュニティになりうるのです。
歳が近い子どもたちが集まってワイワイ楽しく活動できるから。
公園でたまたま居合わせた人たちといつでも自分のやりたい遊びができるとは限りませんよね。
サッカーやりたい人がいれば、鬼ごっこしたい人もいる。
その点では部活動は常に安心して見知った仲間と参加できるコミュニティです。
日本人お得意の「みんながやるなら私もやる」という同調性を持ってすれば、部活動の敷居は低く、多くの子どもたちが活気付くコミュニティができあがります。
部活動ごとの目的・目標
どの部活動に入るのか決める段階で、全ての部活動に目的ないしは目標が必要です。
それは「大会で結果を残す」でもいいし、「みんなで楽しく活動する」でもいいです。
「体を動かしたい」ただそれだけでも立派な目的です。
活動方針と言い換えた方がわかりやすいですかね?
それがないと、生徒はどの部活に入るべきか判断がつきません。
「1日30分、集まってエクササイズをするクラブ」とかも全然アリです。
スポーツ庁による『運動部活動の在り方に関する総合的なガイドライン』には、「週に1〜2日の休養日、週あたり16時間未満」と定められていますが、それより時間が短くたってなんの問題もないのです。
実際にそういう部活動に所属して、部活動に打ち込まなきゃいけないという息苦しさがなくなった、気持ちよく運動ができる、と感じている生徒たちもいます。
生徒自身による選択
部活ごとに目的が定まったなら、次に必要なのは生徒自身の選択です。
生徒たちにもひとりひとり部活動に所属して何をしたいか、目的・目標があります。
それが部活動自体の目的・目標と合致していないと、入部した後にあれ、なんか思ってたのと違う、、と戸惑う原因になります。
せっかく入部して数ヶ月活動して、やっぱりやめますだと時間ももったいないし、他の部に入るタイミングも逃しがちです。
部活動側はしっかりと各部の活動指針を提示して、生徒はそれに対して自分にあった集団を判断し、選択する。
「自分が一番活きる場所を見つける能力」は、社会に出る時も確実に必要なスキルです。
それを学生時代のうちから養える機会が全員に平等に与えられていると思えば、部活動もそんなに悪いものではないんじゃないでしょうか。
「しごき」の限度
部活動反対運動の大きな理由の一つは、部活動における過剰な指導、過密日程、体罰などの「しごき」の部分でしょう。
全国大会などを目指す部活動の場合、やはり日々の練習は欠かせないし、ついつい指導者も熱くなってしまうのは仕方がないことです。
しかし、そこで「しごき」の限度を読み違えて、生徒を死に追いやってしまうケースは後を絶ちません。
先に述べたように、部活動とは、「健康で文化的な生活を送るための一財産」であるべきです。
決して指導者の目的を達するための道具ではありません。
近年、顧問教師による部活動の負担を軽減するために、外部指導者が雇われることが増えています。
外部指導者は顧問教師の場合と比べ、指導する部活動の活動日数・活動時間ともに増える傾向にあります。
なんとなく想像はできますよね。
子ども達をひたすら走らせることで精神的にタフにさせる、という指導方法は一見簡単で効果的に思えますが、度が過ぎた理不尽な走り込みは子ども達の命を奪います。
野球部の女子マネージャーがバスに乗らせてもらえず練習場から学校までの3.5キロを走らされた結果死亡した件を知っている人は多いでしょう。
ほんの少しの油断がこのような痛ましい事故を簡単に引き起こしてしまうのです。
「部活動に全てを捧げる」という言葉は、あくまで生徒の言葉であって、指導者がその言葉を鵜呑みにして生徒に無理を強いていい訳ではありません。
むしろ指導者は熱くなりすぎた子ども達を冷静に俯瞰し、バランスを取ってあげるのが役割なのではないでしょうか。
まとめ
長くなってしまいましたが、部活動が正しい形であるためには、これだけたくさんのことが必要なのだということが伝われば幸いです。
僕は部活動肯定派です。
小さい頃からスポーツは生活の一部で、スポーツに育ててもらいました。
部活動は「健康で文化的な生活を送るための一財産」。
これだけでも伝わればこの記事を書いた意味があるのかなと思います。
✳︎
最近、教育経済学について学部生っぽいことが全然書けていないので、次の記事は僕が取り組んだゼミでの研究テーマについてでも書こうと思います。
穴だらけの研究結果を温かい目で見てください。笑
ここまで読んでくれてありがとうございました!