過労死は自業自得?【学校の働き方改革】
教育界に関心のある方ならご存知でしょうが、平成30年12月6日に、「第20回 学校における働き方改革特別部会」(以下、特別部会)が行われました。
さらにそこで、『教員の働き方改革に関する答申素案』(以下、素案)が出されました。
それについて、(ちょっと遅い気もしますが)思いの丈を書いていきます。
特別部会の概要
この素案に関して賛否両論はありますが、内田良さんをはじめ多くの教育学者の方は「教員の働き方改革の大きな一歩」という見方をしています。
僕も概ねそう思います。
この特別部会の配布資料として出された『公立学校の教師の勤務時間の上限に関するガイドライン』というものが文部科学省のサイトからダウンロードできます。
(答申素案もそこからダウンロード可能です。)
その中に、このような内容がありました。
教師の職務の特殊性を十分に考慮しつつ、「超勤4項目」以外の業務が長時間化している実態も踏まえ、こうした業務を行う時間も含めて「勤務時間」を適切に把握するために、今回のガイドラインにおいては、在校時間等、外形的に把握することができる時間を対象とする。
これについて、『教員の「タダ残業」は解消できぬまま 中教審の素案』(朝日新聞デジタル. 12月7日. https://digital.asahi.com/sp/articles/ASLD653CXLD6UTIL02G.html )という記事では、今まで教員の「自発的行為」であった授業準備や部活動が「時間外勤務」として扱われるようになることが図示されています。
僕はこれを、従来までタダ働き同然だった教員の残業を「タダ働きでした」と認めさせるために時間外の業務時間として計上することにしたのだと理解しました。
そういう意味であれば、時間外業務として計上することは無駄ではないし、正確な無賃残業時間を測ることができます。
それはつまり、同ガイドラインの中で言及された「教員の時間外残業を月45時間以内と定める」ことに対しての保証を意味します。
そういう意味でも、僕は今回の答申素案を意義のあるものだったと思っています。
本質はどこに?
しかし、Twitter上でこの記事に関して「部活動が自発的行為から時間外勤務に格上げされた」と主張する方がいました。
彼女の意見では「部活動を税金で運営することになるので国民的議論が必要になる」とのことでした。
彼女の言い分も分からなくもなかったのですが、問題の本質はそこだったのでしょうか。
今回の素案の目的は大きく分けて
- 子どものためなら時間外勤務も良しとする教員の熱意により、教員自身が疲弊し心身の健康を損なうようなことをなくすこと
- なおかつこれまで日本の義務教育が達成してきた高い教育成果を維持・向上させていくこと
の2つになると思います。
中でも1つめがより重要で、教員の劣悪な労働環境を少しずつでも改善していくことが今回の働き方改革で最優先されるべきことです。
そこには給特法の問題も密接に関わっているのでやはりお金の面の問題を気にする人もいますが、それはあくまで働き方改革のための手段・方法であって目的ではありません。
たしかに仮に教員の残業代が出ることになってもその分の予算はないし、国民の税金から賄われることになるのでしょう。
ですが、それが問題の本質ですか?
僕は違うと思います。
思考軸の違い
問題の本質をどう捉えるかは個人の思考軸によると思っています。
つまり、人それぞれ思考軸は違うので本質をどう捉えるかも変わってくるということです。
僕の思考軸は「教員」です。
一方で、前項で登場した彼女の思考軸は「自分」だったのだと思います。
ぼくは学校職員の働き方を改善することが何においても重要だと考えます。
「学校における働き方改革特別部会」なのですから当然です。
だからこそ、教員の時間外勤務に上限が設定されたことをプラスに評価します。
「月45時間なんて達成できるわけがない」と主張する方も多いでしょうが、だったら達成できるように働き方を変えていこうと考えるべきではないですか?
これこそが働き方改革の原動力となる考え方だと思います。
一方で、「自分」を思考軸に置いた場合、どういう考え方になると思いますか?
「今まで無賃で働かせていたのに、それを税金で賄うとなると国民の負担が増える」
「部活動は必要がないので即刻廃止するべきだ」
多分こう。
それに対して、
「管理職に勤務時間管理を徹底させるためにも、残業代を出すようにしよう」
「急に部活動を廃止したら混乱するだろうから、段階的に解決を図ろう」
思考軸が「教員」にある場合はこうなるのではないでしょうか。
過労死は自業自得?
「自分」に思考軸を持っている人間の最悪な例に出会いました。
最初にその言葉を見たときは信じられませんでしたが、
「教員が部活動で過労死するのは自業自得です」と主張する人がいました。
本当に怒りというか悲しみというか、そういう感情しか湧き上がってきませんでした。
「強い意志と社会正義の使命感を持てば管理職からの命令など断れる」とのことでしたが甚だ疑問。
それができたらやっているし、誰もが強い人間ではいられない。
その人の立場・環境もわからずに「自業自得だ」なんて僕にはとても言えない。
ちなみにその人は僕のことを「思考を止め本質に触れることの邪魔をする」人間だと表現しました。
彼女なりの「本質」とやらがあったのかもしれませんが、僕には理解できませんでした。
彼女はその後も熱心に学校の働き方改革に関するツイートを拡散しています。
教員の幸せを願う以外に、いったい何が彼女をそこまで駆り立てるのでしょうか。
きっとそこに、この記事の重要な結論がある気がします。
僕たちがやるべきこと
某彼女についての話はこれくらいにしましょう。笑
僕は教員ではないし、教員志望でもない。
だけども今の教員の働き方はおかしいと思う。
そう思う人はきっとたくさんいます。
そんな人たちへのメッセージです。
僕たちは教員ではないのだから、本当の教員よりも説得力は薄いし、知識も少ない。
だから教員よりももっと勉強しなければならないんだと思います。
例えば、あなたは素案を読みましたか?
教員勤務実態調査のデータに目を通しましたか?
教員の立場から問題を考えてみましたか?
思考軸を自分に持っていると、ついつい好奇心を優先しがちです。
いわゆる野次馬です。
社会問題を解決するのは、簡単なことじゃないんです。
面白半分で首を突っ込んでも、そんな思考軸では本質にたどり着けない。
どうか、真剣に、問題解決に向かって行動してほしい。
本気で社会問題の被害者を救いたいのなら、被害者の側に思考軸を持つべきです。
✳︎
あなたは思考軸をどこに持っていますか?
ちょっとだけ考えてみてください。
きっと違った世界が見えてくるはずです。
以上、ご拝読ありがとうございました。