国語も教えることになりました。【人はなぜ勉強をするのか】
こんにちは、しんです。
バイト先で、国語の授業も振られるようになりました。
正直国語は一番苦手な科目だったので大丈夫かなと思ってましたが、割といい授業できた気がしてます^^
その日授業で扱った内容が面白かったので、軽く書きたいと思います。
情報の価値とは
単元としては、「メディア・情報」みたいなやつだったと思います。
現代の〈情報〉について批評する説明文でした。
筆者の主張の簡単な要約。
- 現代において、情報とはその【スピーディさ】に価値があり、人々は情報に対して【速度礼賛者】となってしまっている。
- かつては区別されていた情報と知識が、今は【同一視】されつつある。
- 我々人間は、【情報の一結節点】に過ぎない。
- 本来の知識の価値とは、【時熟していくこと】にある。
- 自らが情報の一結節点に過ぎないことを【自覚すること】が大切。
だいたいこんな感じだったと思います。
もちろんスピーディさが必要な情報とそうでない情報がありますが、現代においてほとんどの情報はその伝わるスピードに価値があります。
台風や地震の速報が次の日に流れても意味がないように。
インターネットで知りたいことをすぐ検索できるように。
〈情報〉と〈知識〉
では、「情報と知識が同一視されている」という主張に関して。
学生の試験勉強やレポートに顕著なように、今の時代、インターネットやコンピューターを通して簡単に問題の答えを探し出したり、計算したりすることができます。
そうして学生は、テストやレポートを「情報を引き出して解答作成するだけのもの」として捉えているのではないか、と筆者は主張していました。
このように、現代において〈知識〉とは、〈情報〉を切り貼りして出来上がるものとほぼ同一視されているのではないでしょうか。
本来知識とはその人の中に積み重なっていくものです。
それを、【時熟していくもの】というように文中では表されていました。
積み重なっていくものと言っても単に一つ一つの経験を積み重ねるだけでなく、それぞれの経験が流れるように溜まっていってお互いに作用しあう、そんなイメージを僕は持ちました。
そして、もちろん知識はとても大切なのですが、それを踏まえた上でもっと重要なことが、自らが【情報の一結節点】であるということです。
情報の一結節点とは
「結節点」とは何かと何かを繋ぐ働きをする部分のことです。
では「情報の一結節点」とは、情報と情報をつなぎ合わせる働きということになります。
もし仮に情報と知識が同一視されていたとしても、単なる情報をそれぞれつなぎ合わせて最終的に浮かんできたものこそが「真の知識」と言えるのではないでしょうか。
この辺は本文にはなかったのでただの感想です。
ただ引き出した情報に反応するだけのマシーンになるのではなく、自らが情報と情報をつないでいるという自覚を持つことで何か変わってくることがあるのではないか。
そんなふうに思いました。
なぜ勉強するのか
タイトルにも書いた「人はなぜ勉強するのか」という問いに対して、今回の文章を読んで思ったことがあります。
勉強する理由とは、まさに「自らが情報の一結節点であることを自覚する」ためなのではないでしょうか。
つまり、何のためにその情報を引き出し、どのように使うのか。
そしていかにそれを知識として自分の中に貯められるか。
そういうことな気がします。
なかなか勉強にやる気が出ない子って、勉強の理由がわからないのが原因だったりします。
僕も昔そうでした。
だから、もし必要なら今日書いたようなことを子どもに伝えてもいいのかなぁと思っています。
余計なお世話と思う子もいそうですが。。
おわり