根拠のある教育を!

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〜教育について考えるブログ〜

人間の正体

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こんにちは、しんです。

お久しぶりです。笑

 

更新頻度がかなり下がったにもかかわらず、記事を書いたらいつも読んでくれる人がいてとても嬉しいです!

 

さて、今回は大好評(当者比)だった記事『世界は "ロジック" でできている』の中で少しだけ言及した、「人間という生き物」について書きます。

 

(これについてはまた別の機会に書きます、と言ったのに書かないのはなんかずるい気がするので。)

 

要はいつも通りの自己満記事です。笑

 

 

人間に思うこと

僕は以前の記事で、こう書きました。

 

人間は物事を理解することが好きな生き物です。

そして理解できないことを恐れる生き物です。

興味のある事はとことん追求して、好奇心を満たしたがる生き物です。

 

そして、この人間という生き物に対して思うことがある、とも書きました。

 

結論から言うと

 

僕は人間が好きではない。

 

と言っても、種族としての人間が好きじゃないだけで、個人個人で見れば好きな人もいるし嫌いな人もいます。

 

今回の僕の意見は、人間という生き物を平均的にみたらこうですよ、という趣旨の話です。

そこだけどうかご理解を。

 

順を追って人間とはどういう生き物なのかについて、僕が思うことを書いていきたいと思います。

 

利己的

人間はとても利己的な生き物です。

いつも自分の利益を優先します。

 

僕は、世の中には「与える」人間と「消費する」人間の2種類がいると思っています。

 

与える人間は自ら何かを作り上げ、世の中のそれを必要としている人間に届けます。

 

消費する人間は与える人間からもらったものを漫然と消費します。

 

ただし、人間は利己的なので、「与える」ことに幸せを感じられる人間はそんなに多くはありません。

 

少数の与える人が多くの消費する人に価値を提供するという図式になります。

 

でもやっぱりそれだと不平等で、与えるのみの人はやってられないので「価値の交換」が始まります。

 

お互いが与え合い消費する人になったり、消費する代わりに対価を払ったり。

 

そうして生まれたのが「お金」という概念で、これはいわば人間同士の利己的なやりとりを修正するためのモジュールです。

 

僕がお金を好きになれないのはこういうわけで、お金は争いを避けるためのその場しのぎのアイテムなのかもしれない。

 

✳︎

と、ここまでお金をdisってきたんですが、僕はお金と経済を発明した人は天才だとも思っています。

良くも悪くも今の人間社会を生み出し、維持しているのはお金です。

 

なので僕は「お金なんてなくなればいいのになぁ」とこっそり思っているだけで、実際にはそこまでお金の絡む問題に関心のない人です。

 

怠惰

さらに、人間は怠惰です。

 

できることなら働かずにお金が欲しいし、常に消費するだけで生きていたい。

 

その結果、「奪う」ことをおぼえました。

 

働くことよりも奪う方が効率がいいからです。

 

人間以外の動物にも争いはあるのかもしれませんが、人間のそれはとても規模が大きく、種族そのものの存続を危ぶめるものです。

 

争いが起こるのは、対価を払わずに何かを得たい時。

 

与える人→消費する人、という世の中の原理に逆らう行動です。

 

下手に知恵を得てしまったがために、原理に抜け道を見つけて巨大な争いを引き起こします。

 

利己的で怠惰な人間が一番厄介で、他人の不幸を気にもせずに自らの利益に向かって邁進するので手がつけられません。

 

そういう人は言っても聞かないので、力で収めるしかなくなった結果、抵抗という形で争うことになるのかなと思います。

 

好奇心

さて、本題ですが『好奇心』について。

 

好奇心そのものはとてもいいことです。

子どもの時に一番強く持つ感情で、その人の成長に大きく関わります。

 

「好きの反対は無関心」「好きこそ物の上手なれ」と言うように、関心・興味は人間にとってとても重要な感情です。

 

ただ、僕が言いたいのは「好奇心を満たすためなら何をしてもいいの?」ということです。

 

人間には理性があります。

感情が大きく出すぎた時に、理性はブレーキとしてストップをかけてくれます。

 

しかし、時には感情が理性を上回ってしまうことがあります。

 

好奇心が強すぎる時、人は他人の不幸よりも自分の好奇心を満たすことを重視します。

 

それこそが「自己中心的」な行動原理の正体であり、悲しい現実です。

 

今一度問いかけてみてください。

 

あなたは好奇心に流されて、自分の利益を優先していませんか?

 

自分の思い通りにいかなくて、周りに当たってしまうことがありませんか?

 

この問いこそが、そんな自分を嫌いになりそうな時に立ち返る場所であり、人間が守るべき最低限度の尊厳だと思います。

 

あとがき

なかなか落ち着いて記事を書く時間が取れなくて数日おきにぶつ切りで書いてしまったので、内容に一貫性がなかったかもしれません笑

 

今回書いた内容は、これまでの人間の行いへの戒めと、これからの人間の行いへの警告です。

 

個人レベルでは「自己中」で済みますが、地球レベルではどうですか?

 

別に僕ひとりが何を言ったところで大した影響はないのかもしれませんが、このまま地球が人間の手によって汚されていくのは嫌です。

 

漫画『寄生獣』の中では、「人間は地球を蝕む寄生虫ならぬ寄生獣なのかもしれない」というようなことが書かれています。

 

もしこのまま人間が寄生獣であり続けたら、きっといつの日か限界を迎え、報いを受けます。

 

科学は人間を豊かにしますが、必ずしも地球を豊かにするとは限りません。

 

人間は種族として、「地球の癌」なのです。

 

進行を遅らせることはできても、完治は難しいでしょう。

 

僕は美しい地球が大好きです。

 

だから山にも登るし、旅もする。

田舎が好きで、都会は苦手。

 

まだ人間に侵されていない部分を楽しみ、大事にしていきたいと思います。

 

そして、今年の年越しは山で迎えることになるでしょう。笑

 

そんなお話でした。

 

ご拝読ありがとうございます!