原爆資料館に行ってきました【平和と教育】
こんにちは、しん(@shin_catus)です。
ぼくは戦争を経験した年代ではないので残った資料を見ることしかできませんが、それでも当時の惨状、その痛ましさ、悲しさ、無力さが身に沁みました。
もう二度とあのような悲劇を繰り返してはならない。
強くそう思いました。
争いをなくすために
原爆投下の背景は、言わずもがな、第二次世界大戦です。
このような争いが絶えない限り、人間はまた同じことを繰り返すかもしれません。
今回は世界が平和であるために、教育がいかに重要な役割を果たすかについて書きたいと思います。
平和と教育
世界が平和であるために、自分たちに何ができるか。
一つは、教育を受けることです。
これはもはや日本では当たり前なことですが、今一度、振り返って考えてみてほしいと思います。
世界では、義務教育すらまともに受けられない子ども達がたくさんいます。
学校に通うお金がないから通えない、児童労働として学校に行かずに働かせられる。
様々な理由があります。
途上国にはそういった子ども達が未だにたくさんいるんだ、ということを忘れないでほしいと思います。
ぼく達が教育を受けられるのは当たり前のことじゃない。
勉強したくてもできない人たちがたくさんいる。
それは子どもに限りません。
彼らは必要最低限の学びを享受できず、市場経済に馴染めないでいます。
そうすると彼らの所得は上がらず、貧困を抜け出せない。
性犯罪やエイズなども正しい性教育を受ければ回避できる確率は高まる。
そんな彼らから教育を奪うものこそが、紛争です。
紛争と教育
紛争は、教育にとって大きな障壁になります。
戦場となることで十分に勉強ができない場合もあります。
学校が爆撃などの標的になることもある。
紛争の多い地域では、子どもの死亡率が高いです。
死んでしまったら教育もクソもありません。
さらに、そのような地域では識字率が低かったり、教育の場を民族教育に使い、紛争を助長していることもあります。
このように、争いは何も生まないどころか、大事なものを奪っていきます。
最後に
今の時代の争いの多くは、貧困によるものからです。
貧困によって教育を受けられず、所得が上がらないまま子どもを産み、貧困が子どもに遺伝することで、負のスパイラルは生まれます。
それを打開するために、教育が果たす役割はとてつもなく大きい。
誰もが平等に教育を受けられる時代ができるだけ近い将来訪れますように。
平和な世の中が訪れますように。