【コホートとは?】超長期間で見る社会問題
こんにちは、しんです。
教育に関連しない雑記はnoteの方に移行したので、そちらも是非ご覧ください!
https://note.mu/shin_catus/m/m81dc7263205d
さて、もう2月になっちゃったんですが、2019年になりましたね!
データを見る上でも、年というのは重要で年ごとのデータをグラフなどにしてあるのを見る機会はたくさんあると思います。
「時間が解決してくれる」
突然ですけど「時間が解決してくれる」ってフレーズよく聞きますよね。
この言葉が好きな人と嫌いな人いると思いますが、僕は大好きです。
昔から基本的にどんな出来事でもそのうち丸く収まると思って生きてきました。
極論を言えば、このブログで問題提起している教育の問題だってそのうち解決します。
絶対です。
世の中に絶対なんてないと思うかもしれませんが、僕が「絶対」と言い切る根拠をご紹介していきたいと思います。
コホート(cohort)
今までずっと漠然と「時間が解決してくれる」って思ってただけだったのが、ある概念をキッカケに根拠を持つようになりました。
それがコホート(cohort)です。
僕がコホートについて知ったのは、大学の "Sociology of Population" という講義でした。
日本語に直すと「人口の社会学」。
人口の移動や出生・死亡等による増減などを科学する学問です。
その中で団塊の世代を扱うことがあって、同時期に産まれた人たちが成長するにつれて集団としてどう変化していったかについて少し学びました。
コホートというのは同じ属性を持った特定の集団を定義する言葉なので、この場合、団塊の世代に産まれた人たちを1つのコホートとしてまとめて考えます。
「団塊の世代」に関しては、多分はてなディクショナリー的なやつ(文字にリンクがつくやつ)になってると思うのでわからない人は見てみてください。笑
世代交代
コホートについて分析するときは、対象のコホートを追跡します。
どういうことかというと、例えばあるコホートを対象に学力テストを行うとします。
彼らが小学1年生の時、1960年だとします。
テストは3年ごとに行われるとすると、1回目のテストは1960年。
2回目は1963年で、当該コホートの学年は小学4年生。
3回目は1966年で中学1年生…
というように対象の学年がずれていきます。
小学1年生のデータのみに着目すると、3年ごとに得られるデータは別の子どもたちの学力ということになりますよね。
この表で見ると黄色くマークされたところが当該コホートの点数の軌跡です。
(表はめちゃくちゃ適当に数字を埋めただけなので信用しないでください)
このように、コホートのデータは表で見ると斜めに進んでいきます。
同じ小学1年生のデータを見ようとしても、1960年と1969年では学習環境が異なる(という設定の)ため、生徒の学力も全く異なります。
ひとつのデータセットを見る時にも、世代によって要因が大きく異なると考えられるので比較する際には注意が必要です。
ここまで書いてきましたけど、これってごくごく普通のことだと思います。
3年ごとに教育の技術革新が起きて全体の学力が上がっていると考えれば、1960年と1969年の違いは単に「世代交代が発生した」と言えます。
この「世代交代」というのが時間が全てを解決するためのキーワードです。
絶対と言えるわけ
僕は冒頭に「教育の問題は絶対に解決する」と言いました。
コホート、そして世代交代という現象に、"絶対" と言える根拠があります。
後付けみたいでちょっとずるいかもしれませんが、何もしなくても「勝手に解決する」わけではありません。
「時間が解決してくれる」というのは、変えようとする意思が人々にあればこその概念です。
学校のブラック化に関する問題も、「絶対に変えなくちゃいけない」という強いエネルギーを僕は見てきています。
なので時間さえかければ絶対に解決すると信じています。
もしかしたら希望的観測で現実はそんなに甘くないのかもしれませんが、信じなければ何も始まりません。
給特法の問題にしても、たった4%の教職調整額という、40年以上前に定められた数字がいまだに使われていることへの疑問や違和感を感じないわけがないのです。
この40年間で人々は世代交代しています。
かつて体罰や暴力的指導を良しとしてきたコホートはすでに過去のものなのです。
人間の身体は変わりゆく時代に対応して自らをチューニングするはずです。
自然の生態系と同じように、悪いものは自然淘汰されていき、世界はある程度上手く回るようにロジカルにできています。
時代の流れについていけない人はこの先役に立てません。
「一生勉強」というのが僕の信条ですが、それは変わりゆく時代を理解し、置いていかれないための術なのです。
時代が変わるということ
さっき書いたように、時代は変わっていくのでどんな問題もいずれは解決するはずです。
しかし、世の中とは上手くいかないもので、完璧に幸せな世界というのは生まれてくることはないでしょう。
もしそんな世界が生まれてしまったらきっと人間の半数は退屈さに苛まれるはずです。
僕もそのうちのひとりになりそう。
つまり、世代交代によって新たに生まれてくる問題も必ずあります。
僕らがおじさんおばさんになった時には、世界は様変わりしていて、全く見たこともないような問題が溢れていると思います。
その問題もまた時間が解決してくれるのだろうけど、ゼロにはならない。
少なくとも僕らが生きる100年間では歴史的に目立った変化はないだろうなぁ。
でも小さな時代の流れに置いていかれて老害と言われてしまうのは嫌なので、その時々に適応できる大人になりたいです。
以上、ご拝読ありがとうございました。