"ロジック" の観測者
前回の釣り記事、空振りに終わりました。
ので、今回は普通に書きます。笑
『世の中は "ロジック" でできている』の記事でも書きましたが、僕は世界には神様が創った人間には到底理解できないロジックがあって、世界はそれに従って回っていると信じています。
(↓↓↓記事はこちら)
それに関連した面白い概念を見つけたので、記事に起こしてみることにしました。
ラプラスの悪魔
皆さんは「ラプラスの悪魔」をご存知ですか?
そういうのが好きな人なら名前くらいは聞いたことがあると思います。
ラプラスの悪魔とは、物理学において仮想される超越的存在のことです。
ある時点において作用している全ての物質の力学的・物理的な状態を完全に把握し解析することで、未来の状態までもを確定的に知りうるとされます。
ちょっと難しいですかね?
実はこれこそが僕が定義した「神様=全知全能」とほぼ同義なのです。
複雑な話は簡単な話に置き換えて考えるのが吉です。
ビー玉が地面を転がっているとします。
そのビー玉と転がる地面の物質的な形状、さらには空気の影響や地面との摩擦などその全ての力学的状態を知りうる知性があるとすれば。
それはビー玉がどのように地面を転がっていき、どこで止まるのかを全て確定的に予測することができます。
これはつまり、力学的・物理的状態からロジックを解析して、未来の状態を算出しているということに違いないのではないでしょうか。
ラプラスの霊
この「全ての力学的・物理的状態を把握し解析しうる知性」を提唱した人こそが、18世紀フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラスさんです。
しかし、ラプラス自身はこの超越的存在のことを単に「知性」と呼んでいました。
のちにドイツの生理学者エミール・デュ・ボワ=レーモンさんが「ラプラスの霊」と呼んだことから「ラプラスの悪魔」として広まることになったのです。
僕らのイメージからすると、やはりラプラスの「悪魔」という表現が一般的だと思うのですが、最初は「霊」と呼ばれていたんです。
キリスト教で「霊」というと、三位一体説において神格のひとつをなす概念である「聖霊」を指すことが多いです。
そして三位一体とは、「父なる神」「子なるキリスト」「聖霊」の3つが一体であるという教えです。
つまり、「霊」とは神様を表す言葉でもあるのです。
僕がブログに書くまでもなく、人類は遥か昔からロジックを知覚する超越的存在として「神」を認識していたのです。
神か悪魔か
しかし、先ほども書いた通り、「ラプラスの霊」は次第に「ラプラスの悪魔」として広がります。
神と悪魔は同一視されません。
むしろ真逆の存在です。
なぜ「悪魔」と呼ばれるようになったのか。
そこに "ロジック" をより深く理解するための鍵がある気がします。
(全部こじつけなんですが。笑)
僕の感覚では、神様は「ロジックを創り出した超越的存在」であり、悪魔は単に「ロジックを観測しうる者」です。
ロジックを観測しはするけれど、干渉はしない。
未来を確定的に知っているのをいいことに、僕たちが慌てふためくのをニヤニヤ見ているだけです。
神様よりも少しは身近に感じません?笑
僕の頭の中ではコミカルなかわいい悪魔ちゃんのイメージが定着しつつあります。
まあそれはどうでもいいんですが、本題に戻りましょう。笑
なぜラプラスの『悪魔』なのか。
神様からしたら、ロジックを観測できる者がいてはいけないのです。
ロジックを完全に理解するということは、真理に到達することに変わりないから。
もし仮にごく少数の人間が真理にたどり着いたとしたら、世界の在り方が根本的に覆る可能性があります。
金は降ってくるだろうし、人の心も操れる。
死者も蘇らせられるかもしれない。
それを恐れた人間たちが、「ラプラスの『悪魔』」と呼び始めたのかもしれませんね。
おわりに
そもそもの疑問かもしれませんが、なぜ物理学の観点からラプラスの悪魔が生まれたのか。
僕も詳しくはわかりませんが、20世紀に「量子力学」という理論が広がるまでは、物理学において人間も含めた全ての物質は粒子の集まりとして捉えられていたそうです。
それはつまり、人間の意思や思考さえも粒子の集まりとされ、その挙動によって絶対的に未来が決定されていることを意味します。
このような考え方を「決定論」と呼びます。
決定論には様々な種類があるらしく、キリスト教カルヴァン派の「予定説」などは有名ですね。
僕が書いた "ロジック" という概念も決定論のひとつの考え方ということになるでしょう。
この辺の話は興味が尽きないので、いつかまた続きを書きたいです!
厨二病なので。笑
ご拝読ありがとうございました!