社会人になった感想と高圧的な教育者について
こんにちは。とてもお久しぶりですね。
社会人になって2ヶ月が経ちゴールデンウィークが終わったので久々書いてみようかなぁと思い立った所存です。(未だにたまに読んでると言ってくれた友人がいたというのも理由)
社会人になった感想
24歳ではじめて社会人として働き始めて、2年間何してたんだって聞かれるたびに当時を思い出しながらうんざりはするのですが、一度外れたレールに戻ってこれたという安心感はあります。
大学時代自分より成績の悪かった人や、課題を全然提出せずに直前になって泣きついてくる人たちのことをなんだかんだ見下してはいたけど、結局まじめに就活して社会人になった彼らの方が100倍えらいんだよなぁと思ったり思わなかったり。
そんなこんなで正社員として働き始めたのはいいのですが、当然のことながらあんまり仕事はできず、2年間やってた個別指導も板書がなってないと怒られ、電話の出方も掛け方もわからずしどろもどろになってます。
だいたいどの新卒もそんなものなんだろうけど、そういうのに過剰に反応して落ち込んでしまうタチなので…。
とはいえ、スプレッドシートとかレジュメ作りとか大学時代に培ったものは無駄にならず、「どこでそんなの学んだんですか?!」って先輩社員に言われたりもしました。
はじめて作ったレジュメは社長に褒められたり。
働き始めて1週間経った頃は仕事行くのがすごく楽しかったです。
高圧的な教育者について
ところで、皆さんは威圧的な教育者ってどう思いますか?
スポーツの指導者とかは結構そういう人が多くて、みんなビクビクしながらプレーしてたと思います。
だけどそれでもある程度結果は出るし、たしかにキツく言われなきゃ出せない本気もあると頭では理解してます。
大人になってもそんな教育の仕方しかできない人がたくさんいるのは、どういうことなんでしょう…。
僕の上司もまさにそうで、怒鳴ったりはしないけれど常に鬼の形相にチクチク言葉。
正直いるだけでQOLが激減します。
しかも自分ではそのことに気づいていないのが何よりタチが悪い。
塾講師なのに社員教育下手すぎて笑っちゃいます。
どれくらいかというと、研修初日でバイトくんが1人辞めました。
他のバイトの人はみんな塾の卒業生なので辞めるに辞められず…という感じ。
でもみんなその人にビクビクしながら毎日働いてます。
すごーく嫌な気持ち。
幸いなことにその人に会うのは週の半分もないからいいんだけど、働いてる時に常にその人の顔が脳裏にチラついて穏やかじゃないです。
まだ2ヶ月しか経ってないけど、もう会社辞めたいです!笑
我慢の限界が来るまでは今の職場で学べることを学ぼうと思いますが、しばらくしたら辞めます。
では、進展があったら続き書きます。
ありがとうございました〜!
ご報告😅
お久しぶりです。しんです。
電車乗って帰る間にやることね〜と思ったので久々にスマホを取りました。
とりあえず近況報告
今はとある個別指導塾で週5勤務のフリーターをしてます。
教えてる教科は大半が小学国語。たまに中高英語もやります。
小学6年生が受験シーズン真っ只中の今、ただ勤務日数が多いだけで過大評価されている気がする僕は多くの受験生を任されております。それはありがたい限りなのですが、無事合格してくれるかが心配でなりません…。
受験生を持つのはなかなか責任ある仕事なので色々大変かもしれないことはありますが、とりあえず楽しくやってます。
後述しますが僕は今年度で今いる塾を離れるので、その点では受験生を担当した方がお別れがスッキリしていいな〜とも思ってます。
ひたすら過去問をやってはいるものの、基礎知識や基礎読解力が足りていない子についてはもっと色々やらせてあげたいと感じます。
でも多くの子が別の塾にも同時に通っていたりして、宿題が二重に降りかかって苦しそうになったりもしています。
なかなかうまくいかないものだな〜と思ってはいるのですが、成績自体は上向いてくれた子が多いので、この調子で最後まで頑張ってもらいたい…。
正社員になります(仮)
今の塾の社員さんからありがたいことにご紹介いただいて、来年度から別の個別指導塾で正社員として雇ってもらえそうです。
年末年始に試しに授業してみませんか?って言われたのでそれが終わってから最終判断しますが、「いつ決めてくれるの(・・?) みたいな感じにだいぶウェルカムにしていただいてます。
しかし、そんなありがたい話をいただいて就職について真面目に考え始めたら、急に学校事務やりてぇ〜となってしまって、ほんの少しだけ揺れてます。
とは言うものの、学校事務の正社員求人なんて滅多にないし(公務員試験は受けたくない)、塾で数年働いてからでもいいかななんて思ったりもしてます。
その辺のキャリア形成にはまったくもって経験がない(大学のキャリア指導も聞き流していた)ので、ご先輩の方々にぜひご教授願いたいところであります。
このブログを始めた当初は大学院に進んで教育経済学を学び、修士課程終わったら世の中を変えるために頑張るんだ!とか思っていたんですが、そういうのは全て燃え尽きてしまいました。
院試の結果発表を見る前に全部嫌になって引きこもって、とりあえず通信制大学に通って教員免許取ろうとしていたことも懐かしいです。
今やその大学も通わず、今年度の学費未納のまま一年が経とうとしています。早く退学したい。
振り返ってみると人生いろいろあるんだなーとか若輩者ながら思ってます。
たくさん悩んで未だにこれでいいのかなぁと不安になることの方が多いけど、性根は変わらずとも考え方は変わっていくものなのでそのうち収まるべきところに収まるでしょう。
追伸
最近、健康のために隣駅から歩いて帰るようにしているのですが、通り道にある2軒のラブホテルを過ぎるたびに、クリスマスが近づいているのも相まって死にてーー!と思ってます。笑
おわり
女子生徒の下着の色について
こんにちは、しんです。
時々Twitterで話題になる女子生徒の下着の色問題に関して、個人的に思うことを書きたいと思います。
(本当に個人的な感想で、なおかつ僕は考え方が変わっていると自覚があるので、賛同を得られないだろうなとは思っていますが、叩かないでください)
参考までに、以前話題になった「透けない生地の色」のツイートがこちらです。↓
(この検証結果が物理的に信じられないけれど、どうやら事実らしい)
そもそもこの話は「下着の色は白」とする校則が問題視されたことから出たものです。
下着の色まで校則で決めることは行きすぎていると、文科省からも通知が出ていました。
下着の色まで指定 行き過ぎた“校則” 見直しを 文科省が通知 | 教育 | NHKニュース
僕も下着の色なんてどうでもいいです。
派手な色の付けてる人は目立ちたがり屋なのかな〜くらいのしょうもないことしか思いません。
なので赤でも黒でも好きな色のを付けたらいいと思います。
が、果たして問題はそこなのか?と思います。
色が何色だって汗かいたり雨降ったら透けますし、なんなら肩紐だけで興奮する男もいそうですし、透けない色にしたからといって解決する問題ではなさそうです。
もっと根本的な解決策としては、キャミソール着るとか、透けにくい色のブラウスにするとか、いくらでも考えられます。
下着の色を白以外認めない、とか何色はだめ、とかそんなのはくだらないのでさっさと解決してください。
また、それとは別問題で女子生徒の下着問題についてなんですが、下着の上に直にブラウス着たらそりゃ透けるわ、と思うんですけど…。
その辺は女性はどう思っているのでしょうか。
男性と女性では下着の形も違いますし、そういう点では女性が気の毒だなとは思いますが、例えばTシャツ一枚で乳首透けてる男がいたら普通に嫌じゃないですか?
こういう嫌悪感って誰しも持ってると思うんです。
下着が透けて興奮するとかそういうの以前に、「いや、公衆の面前に晒すなよ…」と思ってしまいます。
先程も述べたように、もしブラウスが黒とか赤とか濃い色だったとしたら、そもそも透けることなんてないと思います。
ブラウスが白いのがそもそも悪いのですが、僕が通っていた中学では、女子は紺色のベストを着ていました。
高校はセーラー服で分厚めの生地だったので何色でも透けてなかったと思います。(男女別学だったので詳しくは知らない)
どちらにせよ下着が透けるような学校ではなかったので、なんとも言えないことではありますが、
薄手の白ブラウスの下に下着一丁しか着ないっていうのはどうかと思うので、もし白ブラウスが校則で決められているのなら、キャミソールとか着てほしいな〜と思うのが男である僕目線で思うことです。
たかだか17, 8歳で派手な色の下着とかまだ早いだろこのおませさんが!とか思ってしまうのは、僕が勝手に僻んでいるだけです。
長文、駄文、失礼しました。
先生にはなりません(今のところ)
こんにちは、しんです。
絶対に続きを書くと言っておきながら半年近く放置してしまいました。
未だに毎日2,3人はこのブログを読んでくださっているということに驚きが隠せません。
久々の記事ではありますが、今回はあまりいい話ではありません。
僕の弱さというか世間の生きづらさというか…。
近況報告ということで、長くはなりませんのでなんとなく読んでいただければと思います。
近況報告
僕は今、学生兼フリーターです。
通信制の大学で中高英語の教員免許取得を目指しながら、個別指導塾で週6アルバイトをしています。
勉強を教えるのはとても楽しいし、子どもたちもかわいいです。
味気のない毎日が楽しく感じる瞬間で、次の日も頑張ろうと思う活力になります。
去年の僕は、子どもと関わりながら勉強教える仕事につけたら幸せだなぁと思って、なんとなしに教員免許を取ろうと思い立ちました。(この辺は以前どこかの記事で書きました)
しかし、4年生になった今年(正確には3年生の終わり頃ですが)、張り詰めていた糸が切れるように一気にやる気がなくなりました。
コロナ禍で日々ストレスを抱えて生きていながら、大学はオンライン授業で質が悪いし友達もできない。
目線や表情からこそ人の本質が見えてくるはずなのに、物事の本質を気にも留めず上辺だけで生きていかなくちゃいけない昨今に嫌気がさしています。
大学にはもう通っていません。
もともと月毎に履修するシステムなので、履修登録をしなければ授業はありません。
退学しようとも思いましたが、退学願の届出期間が2月だったのでそれも叶いませんでした。
先生にはなりません
ということで、僕は先生にはなりません。
Twitterを見ていると新任教師の苦労や愚痴のツイートばかりが回ってきます。
「教員辞めます」ツイートも毎日のように目にします。
かつてはこんな教員の労働環境をなんとかしようと奮起してブログを書いたりもしていましたが、今の自分にそんな主張する権利なんてない、と諦めてしまっています。
言ってしまえばどんな仕事も忙しいし、楽なものなんて滅多にありません。
やればやるほど欠点は見えてくるし、改善点だらけで日々を追われていくはずです。
そこまでして生きていたいとも思わないし、やりがい搾取には辟易します。
だったらフリーターでいいじゃん、塾講師は楽しいからすごく幸せ!
もちろん将来のことはあまり考えられていませんが、世間一般的な幸せを得られるかどうかはかなり怪しいです。
それでもこれ以上頑張ったら自ら命を経ってしまうかもしれないくらい心が擦り切れているので、これはある意味自己防衛なのかもしれません。
きっと「もっと頑張れ」だとか「そんなことで諦めるな」とか「何やってるんだ」とか思う方はいるかもしれません。
実際親にも言われましたし…。
でも僕は今すごく幸せです。
あとは家を出て独り立ちすることができれば言うことはありません。(そのためにはお金がいるというジレンマ)
山登りしてお酒飲むお金があれば、他に多くは望みません。
どうか僕の生き方にだれも文句を言いませんように。
けれどもやっぱり
とはいえ、学校の先生への憧れが全くなくなったわけではありません。
今日も電車の中で学校へ向かう高校生をたくさん見ました。
青春時代をすべて置いてきてしまった僕としては、その延長戦を教師になって楽しみたいと思わないこともないです。
教育者っていうのは憧れがあるし、結婚して子どもを持てるかもわからない中では「他人の子どもを育てる」ということを仕事にできるのはまたとない幸せです。
なので、気が向いたら再び教員免許を目指すかもしれないし、免許なしでも学校に関わる仕事をしようと思えるかもしれません。
今は心の充電期間(2年目)として、どうか皆さま暖かく見守ってくれていたらと思います。
最後になりますが、これまで僕のことを応援してくださったり、一緒に議論をしてくれた方々には申し訳ないなという気持ちでいっぱいです。
みんなはみんなの人生を頑張って生きてください!
どこかで一緒になったらそのときはまたよろしくお願いします!
それでは、次回いつ更新するかわかりませんが、その時まで。
おわり
どうも、お久しぶりです。【最近の話】
お久しぶりです。
オンラインゲームで野良の人にひどいこと言われて萎えたのでとても久しぶりにブログを書いています。
僕は今通信制の大学で中高英語の教員免許を取ろうとしていますが、お世辞にも英語が使いこなせるとは言えません。
大学の課題で現職の教員の方の丸ごと授業動画を拝聴したのですが、とてもじゃないけどあんな風に自分が授業できるとは思えませんでした。
大学の先生にも英語の教員は元気でパワフルじゃないといけないみたいなことを言われましたが、僕は根っからの陰キャラです。
ついこの間も人と佐野のアウトレットに行ったのですが、ブランド物の知識とか皆無で全く話が盛り上がりませんでした。
僕が唯一買ったのはFrancfrancにあったパンダのコップ立てです。コップも付いてて可愛かったので最後に写真載せときます。
それはまあいいんですけど、授業のレポートすらままならない僕が通信で卒業できる気が正直していません。
別の通信制の大学に通っている子とこの前話しましたが、卒業率2割らしいです。
その子はもうすぐ教育実習に行くそうなので、ご健闘をお祈りいたしますという感じなのですが、自分は果たして教員としてやっていけるのだろうかと不安にならずにはいられません。
もちろんどなたもそんな不安な気持ちになる時を踏ん張って乗り越えて今のお仕事をなさっているとは思います。
ただ、院試で心が折れてそれから何事にもやる気が向かない僕には通信制というのはとても苦しいものです。
編入をしたので今は3年生なのですが、留年してもう一年学生を続けることになるかもしれません。
そしたら社会に出るのは25歳で、自分の親が結婚した年齢とほぼ同じになります。
時代が違うとは言え、なんだか自分の未熟さとか無力さを思い知らされているようで悲しくなります。
とりあえずは直近でやらなくてはいけないレポートだけをやり切れる日程で学習スケジュールを組んでいますが、卒業は正直厳しいです。
期限が決まっていないレポートや科目修了試験は腐るほどあるので、ほんとに腐らせたまま4年生を終えてしまうかもしれません。
ていうかすでに色々と手遅れかもしれない。
ここまで20分で800字ほど書いたのですが、この労力をレポートに回せば400字くらいは進んでいたのかもしれないですね。
…と、不安とかをひたすら書いただけなんですけどこれから先どうしようかなぁ。
今はフリーBGMを聴くのにハマっていて、おすすめは『野良猫は宇宙を目指した』です。
Twitterでタイトル検索したら毎日誰かが呟いてました。
とても耳障りのいいサウンドの上に人の声が入っていないので、勉強や仕事などの作業用BGMとしてぜひぜひ使ってみてください。無料でダウンロードできてiTunesにも入れられます。
こんなところで、久しぶりに更新した記事も終わりにしようと思います。
次回はいつになるか皆目検討つきませんが、僕の文章を読んでくれている人がまだいることは知っているので、細々とでも続けて行こうかなと思います。
Twitterもそんなに呟かなくなってしまいましたが、僕が教員になれるように、応援リプとかしてくれたらもしかしたらほんの少しだけやる気が出るかもしれません。
では、レポート書いてきます。
おわり
国語も教えることになりました。【人はなぜ勉強をするのか】
こんにちは、しんです。
バイト先で、国語の授業も振られるようになりました。
正直国語は一番苦手な科目だったので大丈夫かなと思ってましたが、割といい授業できた気がしてます^^
その日授業で扱った内容が面白かったので、軽く書きたいと思います。
情報の価値とは
単元としては、「メディア・情報」みたいなやつだったと思います。
現代の〈情報〉について批評する説明文でした。
筆者の主張の簡単な要約。
- 現代において、情報とはその【スピーディさ】に価値があり、人々は情報に対して【速度礼賛者】となってしまっている。
- かつては区別されていた情報と知識が、今は【同一視】されつつある。
- 我々人間は、【情報の一結節点】に過ぎない。
- 本来の知識の価値とは、【時熟していくこと】にある。
- 自らが情報の一結節点に過ぎないことを【自覚すること】が大切。
だいたいこんな感じだったと思います。
もちろんスピーディさが必要な情報とそうでない情報がありますが、現代においてほとんどの情報はその伝わるスピードに価値があります。
台風や地震の速報が次の日に流れても意味がないように。
インターネットで知りたいことをすぐ検索できるように。
〈情報〉と〈知識〉
では、「情報と知識が同一視されている」という主張に関して。
学生の試験勉強やレポートに顕著なように、今の時代、インターネットやコンピューターを通して簡単に問題の答えを探し出したり、計算したりすることができます。
そうして学生は、テストやレポートを「情報を引き出して解答作成するだけのもの」として捉えているのではないか、と筆者は主張していました。
このように、現代において〈知識〉とは、〈情報〉を切り貼りして出来上がるものとほぼ同一視されているのではないでしょうか。
本来知識とはその人の中に積み重なっていくものです。
それを、【時熟していくもの】というように文中では表されていました。
積み重なっていくものと言っても単に一つ一つの経験を積み重ねるだけでなく、それぞれの経験が流れるように溜まっていってお互いに作用しあう、そんなイメージを僕は持ちました。
そして、もちろん知識はとても大切なのですが、それを踏まえた上でもっと重要なことが、自らが【情報の一結節点】であるということです。
情報の一結節点とは
「結節点」とは何かと何かを繋ぐ働きをする部分のことです。
では「情報の一結節点」とは、情報と情報をつなぎ合わせる働きということになります。
もし仮に情報と知識が同一視されていたとしても、単なる情報をそれぞれつなぎ合わせて最終的に浮かんできたものこそが「真の知識」と言えるのではないでしょうか。
この辺は本文にはなかったのでただの感想です。
ただ引き出した情報に反応するだけのマシーンになるのではなく、自らが情報と情報をつないでいるという自覚を持つことで何か変わってくることがあるのではないか。
そんなふうに思いました。
なぜ勉強するのか
タイトルにも書いた「人はなぜ勉強するのか」という問いに対して、今回の文章を読んで思ったことがあります。
勉強する理由とは、まさに「自らが情報の一結節点であることを自覚する」ためなのではないでしょうか。
つまり、何のためにその情報を引き出し、どのように使うのか。
そしていかにそれを知識として自分の中に貯められるか。
そういうことな気がします。
なかなか勉強にやる気が出ない子って、勉強の理由がわからないのが原因だったりします。
僕も昔そうでした。
だから、もし必要なら今日書いたようなことを子どもに伝えてもいいのかなぁと思っています。
余計なお世話と思う子もいそうですが。。
おわり